短編小説

墜落の時

爆発音と共に、不意に機体が大きく揺れた。 一人の男がとりすました顔つきで小さなケースを開け、拳銃を取り出した。そして、何が起こったのかを知ってる、唯一の人間らしく、躊躇なく自らの側頭に向けて引き金を引いた。 爆発音と発砲音、そして窓に飛び散…

弟と自転車

その自転車は、弟が八歳のときに誕生日プレゼントで贈られたものだった。一年と少し、弟はその自転車を大切に乗った。ある日、いつものように弟が自転車に乗ろうとすると、チェーンが外れていた。 昨日乗ったときには何ともなかった。しかし、降りると同時に…

静かな夜

きっとひどい顔になっているだろうと女は思った。 それでも、街で横を過ぎる人たちのほとんどは、彼女に注意を払わなかった。一人だけ、中年の男が、事情を察して哀れむような、それでいて関わり合いにはなるまいとするような表情を見せて、素早く目をそらし…

段ボールの家

雨の音じゃないぞ、とホームレスの男は目を覚ました。 彼の家は、段ボールで作ってある。段ボールは軽く、丈夫だが、雨ざらしにできるわけではない。家を置くのに、雨がかかるような場所を選んではいない。 ちくしょう、酔っぱらいが屋根に小便をかけてやが…

ピンポンダッシュ

久しぶりに聞いた玄関のチャイムの音で、六蔵は寝床から重い体を起こした。 体が重いのと体重が重いのは違うものだ、と六蔵は思った。体重が重くても体が軽いのもいる。相撲取りだ。しかし俺はといえば、体重が重くてさらに体も重い。 六蔵は病気だった。体…

あまりにも長いあいだ指を握りしめていたので、僕はつかの間、指のことを忘れていた。指はもぞもぞ動いて、僕を起こした。おはよう、おはよう。僕に指の声が聞こえるのは、かつての指の声を記憶しているせいにちがいない。指に口はついていない。 彼女は、い…

口裂け女の夜

塾からの帰り、人気のない夜道を歩きながら、少年は口裂け女のことを考えていた。その女はマスクをしていて「私、きれい?」と訊く。きれいだと答えると「これでも?」と言ってマスクを取る。すると、その口が耳まで裂けている。 少年にとって、これは怪談で…

風変わりな遺書

以下が「彼」の自殺の現場に残されていた文面である。これを警視庁は遺書と認めず長く倉庫に保管していたが、内部流出により全文が明らかになった。弊誌はこれを遺書とみなし、故人の考えを公開することによって安楽死の是非について世間の洞察を得るべく、…

ドリーム・バスター

私はドリーム・バスターだ。 私は、あなたの幻想や夢を破壊する。私の仕事が完了するとき、あなたはもはや物語的な人間ではなく、ただの一個の生命に過ぎなくなる。 はじめよう。 あなたには、前世などない。あなたには、後世などない。あなたのための、神な…

戦争に関する或る講義

戦争の勝敗に対して民衆のもつイメージには通常以下の3つがあります。 A: 勝つイメージしかないB: 勝つイメージと負けるイメージをもつC: 負けるイメージしかない これら3つのタイプのうち、Bは常に最大数です。数の大小でいえば B > A > C が常に成り立つ。…

金で買える愛

中年に差しかかったころ、保証付きの「愛」を買った。「愛」の値段は9,090万円(税別)だった。高い買い物をした価値はあった。「愛」は私の要望にいつも従順に応えてくれた。「愛」は家事をそつなくこなした。私の暴言や暴力にもよく耐えた。「愛」には感謝…

霊能者

霊能者様の背後に、ひと粒の兎の糞が浮かんでいて、じっとかの人の背を見つめているのだ。 あれはひょっとして、霊能者様の背後霊かしらん。いや、そんなはずはあるまいと、神妙にお言葉に耳を傾けていると、糞がけたけた笑った。 先生、どうも私にも霊が見…

画商

画商のところに一人の貧しい画家がやってきた。一目見るなり、画商はいやな気持ちになった。画家は若く、青白くやせて、目が輝いていた。身なりは貧しいものだったが、それが魅力にさえ映るような風貌だった。こういう男にどうせ大した絵は描けまい、と画商…

権威の服

「これは良さそうな服だな」「はい。権威というのです」「皆が見たがるのはこれだな」「はい。見えなくても見たと言います」「私には見えるぞ」「はい。見える方のための服ですから」「なかなか好い着心地じゃないか」「はい。この服は着る人を選びます」「…

ゴリラ体操

課長が唐突に「ゴリラ体操をするから会議室に集合」と言った。 私たちは、顔を見合わせ「ゴリラ体操?」と笑えない笑いを笑った。 会議室に課のメンバー五人が集まった。男性は課長と翔太の二人で、後は私を含む二十代後半の女性たちだ。課長だけが四十代の…

父と子

畸形の子が生まれたので、父親は喜んだ。「どうだ、この子は。ちょっとした見物じゃないか。街角でさらせば、いい金になるぞ」 母親は泣いた。「そんなことをしたら、この子があまりにも不憫じゃないか。あんたは私らの不幸を売って暮らそうって言うのかい」…

王と家臣と自殺する民

「陛下。自殺をする民が増えています」「それがどうした。死にたいやつは死ねばいい」「ところが、それでは国は困ります」「なぜだ」「奴隷がいなくては国は成り立ちません」「そうか。ならば自殺を禁じよう」「法は歯止めにならないでしょう。自殺志願者は…