国とは、みんなにお金を配るための仕組み

お金がなければ生きていけない。はたしてこれは、常識でしょうか。

驚くべきことに、これは常識です。自分の土地や家畜を持っていて、自給自足をいとなむ人でさえ、払う税金が必要です。これはどういうことかというと、現代の世界には、太古にはあった本当の意味での「生きる自由」など、もうどこにも存在しない、ということです。世界は隅々まで「誰かのもの」になっている。私たちが生まれたときにはすでに。冒険したり、開拓したりして、その代償に自分のすみかを手に入れることは不可能なのです(なんてこった)。

誰かのものになっている場所に住むのだから、お金が必要になるわけです。このお金を稼ぐことのできる人だけが、生きていくことができる。人はたいてい死を避けますから、お金を稼ぐ方法をいろいろ考えます。それで社会が見かけ上は発達したという「おもての面」はあるでしょう。けれどこれは、普通のやり方でお金を稼ぐことができなかったり、お金を稼ぐことをあきらめたりした人たちを、犯罪に駆り立てたり、死に追いやったりした「うらの面」とセットになっているのです。この状態を、社会は続けていくしかないのでしょうか。つまり、「お金がないなら死ね」という状態を。

それによって社会は損をしている、と僕は思う。誰が何の役に立つのかは、その人が死ぬまで分からない。犯罪者やホームレスに身を落としている人たちのなかに、人の役に立つ知恵や才能が埋もれているかもしれない。遊んでばかりいる人は、常識や慣習にとらわれないユニークな脳を育てているかもしれない。寝てばかりいる人は、夢から得るひらめきが人一倍多いかもしれない。人類のイノベーションというのは、たいてい独特な人・風変わりな人が起こしてきた。はみ出す人たちを社会がゆるく包むことが重要なのです。最大限、人を多様にしておくこと。それは、疫病などで一息に人類が滅びないためにも有効なのです。

「人とはこうあるべき」というのはせまい考えです。そう考える人が「多い」から「正しい」というわけでもありません。生物の世界を見わたせば一目瞭然ですが、この世界にとって「多いか、少ないか」はたいした問題ではないのです。世界中のアリを集めたら、その重さは、世界中の動物をぜんぶ合わせたよりも重くなる。だからわれわれ人間はアリに従うべきだ、とはならないでしょう。この世界はまた「黒か、白か」でできているもありません。黒と白の間には、無限のグレーがあるのです。私たちは、この豊かなグレーの階調を見ることに慣れたほうがいい。稀少な生物にこそ不思議な仕組みや、神秘がある、という自然科学者のまなざしを持つべきなのです。

そうして人を見つめ直すと「お金がないのなら死ね」という考えは本当につまらない。そんな言葉は、アリ以外の動物は生きている価値がないから死ね、といっているようなものです。「お金がないのなら死ね」をやめて、「お金を払うから生きよう」に転じれば面白い。どうすれば、それが可能になるのでしょうか。そのアイデアのひとつが、『ベーシック・インカム』という制度です。

ベーシック・インカムは、人生ゲームでいうところの「最初の所持金」です。これは、税金で集めたお金のうちの何割かを、国民全員に等しく配る、というアイデアです。税金とは、そもそも国民の稼いだお金のことですから、それを国民に返す、というのはとても理にかなっている。あまり稼げなかった人にとっては「生きていくのに必要なお金」が手渡され、たくさん稼げた人にもそれと同額が手渡される。赤ん坊にも、老人にも、遊んで暮らした人にも、身を粉にして働いた人にも、等しく、自動的に、「生きていくための最小限度の金額」が手渡されるわけです。

お金がなければ生きていけない世の中である以上、これは実現させる価値のある制度です。社会に「生きよう」というメーッセージを口先だけでなく伝えることができるのです。これはたとえば、疫病がはやっているときに、マスクを1人で1万枚持っている人と、マスクを1枚も持っていない人がごちゃまぜになっているよりも、1人あたり最低3枚持っているほうが、社会全体の健康にいいのと同じです。財源をどうする、といういらいらした声がすぐ上がる制度ですが、僕はベーシック・インカムをまず国民全員に払って、そのお釣りを他に当てればいいと考えている。

お金を血液として、社会を体だとして、考えてみると分かりやすいでしょう。体のすみずみにまで血液が行きわたらないと、そこは壊死してしまいます。一箇所にふくれあがった血だまりがあるのなら、ポンプを導入して、体にあまねく血液を流すのが、命を助けることにつながるのです。このポンプの役割を果たすのが、ベーシック・インカム制度というわけです。

ベーシック・インカム制度があれば、いらなくなる制度が出てきます。生活保護や失業手当、子供手当、扶養控除、年金などです。これらはいずれも「人とはこうあるべき」という人たちの考えにもとづいた制度で、渡すほうが「えらい」、だから受け取る人たちは「えらい」人たちに頭を下げて感謝しなさい、という大変いやなものです。さらには、お金を受け取るまでに、むだに時間や労働が発生していて、とても効率が悪い。ベーシック・インカムは、これらを全部ひとまとめにしてしまいますから、とても合理的ですし、渡すほうが「えらい」とか、くだらないやりとりもありません。ベーシック・インカムは「施し」ではなく「権利」です。国は「みんなからお金を集める仕組み」ではなく、「みんなにお金を配るための仕組み」になるわけです。

そんな制度では、だれも働かなくなって国は滅びるぞ。こんな「えらい」人の脅し文句に反して、ベーシック・インカムがあっても多くの人は仕事をするでしょう。それは、人が生きるために生きるよりも、楽しむために生きることを選ぶからです。楽しむためには、ベーシック・インカムでは不足だから働く、というスタンスになるわけです。ベーシック・インカムのある社会では、早期リタイアする人が多くなるかもしれません。その結果、社会が若い人を中心に動くようになるとしたら、それは間違いなく歓迎すべきことでしょう。

ベーシック・インカムはまた、労働環境そのものをがらりと変えるかもしれません。「えらい」がはびこっている古い体質の会社には、全然人なんて集まらなくなるからです。人々は生きるために、自我を捨てなくてもよくなるわけです。そして、働くことなく、ただぼんやり生きていたい人は、自由にそうすることができる。「ひきこもり」などという言葉も消えてなくなるでしょう。まじめに働く人は、なんだか損をした気分になるかもしれません。けれど、その人のベーシック・インカムは、その人の必要最小限の買い物によって、また社会に還元されるのですから、何も問題はないのです。

ちなみに、研究によれば、ベーシック・インカムによって期待できる効果には、貧困の救済以外に下記のようなものがあるそうです。

・犯罪の抑止
再犯率の減少
・小児死亡率の低下
・学業成績の向上
・IQの向上
・男女の機会均等の上昇
・アルコール、タバコの消費量の減少

※『隷属なき道』(ルトガー・ブレグマン著、野中香方子訳)より