「バカ」とはなにか

「バカ」とはいったいどういうことなのか。

バカ、というのは「じぶんでじぶんの考えの範囲をしばりつけている状態」だと僕は思う。僕はとてもバカだったし、今も気をつけていないとすぐバカになる。じぶんでじぶんの考えをしばるのはらくちんだからです。しかし、らくちんはバカちんなのです。

バカを気にしない人は、歯切れのいい人・信念を曲げない人・表裏のない人、に見えたりすることがあります。そういう人が、自分の名前の入ったたすきをかけて自動車の屋根によじ登って拡声器でさけんでいたりすると、それを見かけた人はついその人に投票したりする。けれど、歯切れよく思慮の浅いことを言ったり、間違った信念を曲げなかったり、表も裏もない代わりに身も蓋もなかったりするのでは、やっぱりバカなのです。

バカには「バカの論法」があると、あるとき僕は気づきました。それはたとえば、次のような会話からです。

Aさん「小鳥さんをいじめないで! かわいそうじゃない」
Bさん「きみはとり肉を食べないの?」
Aさん「食べるけど」
Bさん「鳥がかわいそうなら、きみはもうとり肉を食べるな!」

ここでバカの論法におちいっているのは、もちろんBさんです。なぜなら、私たちには「とり」に対するふるまいとして少なくとも4つの選択肢があるからです。つまり「1. とりを食べないし、とりをいじめない」「2. とりを食べるけれど、とりはいじめない」「3. とりを食べないけれど、とりはいじめる」「4. とりを食べるし、とりをいじめる」。Bさんは「とりいじめ」を正当化したいがために、「いじめる」ことと「食べる」ことを同じことにして、「じぶんでじぶんの考えの範囲をしばりつけた」わけです。そしてさらにそのせまいじぶんの考えを、他人に押しつけようとしたのですね。

バカの論法はたいてい「白か、黒か」と、おおざっぱにものごとを切りわけるところから始まります。それは便利なように思えますが、間違っていることが多い。たとえば、家庭で子供にむかって「親のやり方に文句があるなら家から出てけ」という親も、職場で部下にむかって「自分の方針に文句があるなら会社をやめろ」という上司も、日本という国で批判的な国民にむかって「政権に文句があるなら国から出てけ」という政治家も、Bさんと同じくバカの論法におちいっているのです。そして、たちのわるいことに、バカの論法はその欠陥をかくすために「おどし」とセットになることが多いのですね。バカをこぶしのようにふりかざすわけです。

ものごとを単純化して表現するのは、本来はむずかしい作業なのです。なぜなら、たいていのものごとはとても複雑だからです。「バカ」とは、ものごとを単純化して表現するのではなく、ものごとは単純だと決めつけるところにあるのです。僕は、ものを書くときには、複雑なものごとを単純に言えないかを考える。じぶんで気づかず「バカ」になってることはきっと多い。それに気づくのには、時間がかかることもある。

人がバカなときは、バカのわなにおちいっているのです。そのわなは、落とし穴で、自力ではい出るのはむずかしい。落ちたまま長くいると、体温で空気が温められて、だんだん気持ちよくなってくる。大人になって、じぶんのバカに気づいた僕は、穴から出るために本を積み上げることにした。穴のなかでは、本は読み終えないと形にならないので、穴から出るにはたくさんの本を読まなければならないのです。