ゴリラ体操

  課長が唐突に「ゴリラ体操をするから会議室に集合」と言った。
 私たちは、顔を見合わせ「ゴリラ体操?」と笑えない笑いを笑った。
 会議室に課のメンバー五人が集まった。男性は課長と翔太の二人で、後は私を含む二十代後半の女性たちだ。課長だけが四十代の後半である。
「君たちは若い。けれど、若さというのは長く続かない。私だって、まさか自分が四十肩になるとは思いもしなかった」と課長は言った。私たちはまた、課長を傷つけない程度に笑った。
「そこで私は、ゴリラ体操なるものを発明した。教わるのではなく、発明するというのが私らしい」と課長は得意げに続けた。
「素人考えでやるのはまずくないですか」と翔太がさも心配しているという風に言った。
「基本は押さえているから大丈夫。さて、このゴリラ体操を君たちにも励行してもらいたい。そうすれば、少なくとも今の私よりは幸福な四十代を迎えることができる」と言って、課長は急に両手を上げて中腰になった。それから「背筋をまっすぐに」と言い、浅いスクワット運動を始めた。私たちは見よう見まねで、しかし課長よりもさらにいい加減に、照れ隠しに笑いながら、その運動を行った。
「デスクワークは肩を壊す。脚の筋肉を衰えさせる。両手を上げることが肩に良く、スクワットが足腰を鍛え、全身の血のめぐりを良くする」と課長は言いながらゴリラ体操を続けた。
 そのとき不意に、翔太が深く腰を落としたかと思うと、バスケットボールの選手さながらに跳躍し、会議室の天井を叩いて見せた。女子社員が「おお」と感嘆の声を上げた。課長はゴリラ体操を中断し、苦く笑った。

 その二ヶ月後「課長、まだゴリラ体操をしてるよ」と翔太が私に帰りの電車の中で言った。
「一人きりでもマジでやってるから嫌になるよな」
「翔太だって、四十の後半になれば似たようなものだよ」と私は言った。
「あんなふうになる前に、おれだったら死ぬよ」と翔太は悪びれずに言った。
 電車が停まり、降りる人と乗り込む人が交錯し、私はそのどさくさにまぎれて、翔太を置き去りにして電車を降りた。動き出した電車の窓越しで一人焦っている翔太に向かって、私は駅のホームからゴリラ体操をして見せた。
 公衆の面前でそんなことをするのは、恥ずかしいに決まっている。

 ©新貝直人