弟と自転車

 その自転車は、弟が八歳のときに誕生日プレゼントで贈られたものだった。一年と少し、弟はその自転車を大切に乗った。ある日、いつものように弟が自転車に乗ろうとすると、チェーンが外れていた。
 昨日乗ったときには何ともなかった。しかし、降りると同時に外れないとも限らない、と弟は考えた。そして、チェーンを素手ではめ込んだ。両手は黒く汚れた。ペダルを回してみてチェーンのかかり具合を確かめた。それから実際に乗って、近所をひと周りした。自転車から降りると、チェーンがしっかりかかっていることを確認した。弟は手を洗いに家へ入った。
 翌日、弟が自転車に乗ろうとすると、再びチェーンが外れていた。弟は実際には、外れていた、とは思わなかった。外された、と思った。隣に置いてある一つ上の兄の自転車のチェーンを確かめた。それはしっかりかかっていた。弟は自分のチェーンをまた素手ではめ込んだ。昨日の手の汚れがまだ爪に残っているうえに、さらに汚れがついた。兄が犯人かどうかは分からない、と弟は思った。今度は試しに乗ってみることはしなかった。そのまま家に上がり、手を洗った。
 その次の日も、弟の自転車のチェーンは外されていた。弟は涙をこらえなければならなかった。泣く前に、するべきことがあると思った。弟は物置から金属バットを持って来た。そして、自分の自転車を叩き始めた。ライトやベルなどの壊れやすいところから叩いていった。チェーンをもう二度と誰かに外されないために、自らの手で外した。
 物音に驚いた母と兄が家から出て来た。何をしてるの、と母親が叫んだ。やめろ、馬鹿、と兄も叫んだ。弟はこらえていた涙がこぼれるのを頬に感じた。

©新貝直人