あなたとは、あなたのことです

あなたとは、あなたのことです。

当たり前ですか? しかし、あなたとはあなたのことではない、と考える人がいるのです。あなたとは、誰かのものだ、と考える人が。

その誰かとは、人ではなく抽象的な存在、たとえば「国」だったりするのです。国を人のように見立てるわけです。あなたがあなたのものではなく、国のものであるとき、あなたに自由はありません。国は、あなたからあなたを奪って、別の誰かに作り替えようとします。別の誰かとは、国に都合のいい人です。国は自分自身がてんでばらばらにならないように、みんな同じような顔をしたコピー人間を作りたいのです。国が嫌うのは、個性です。あなたがあなたらしくしていると、つまみ出したくてうずうずするのです。

お庭に花が咲いているとします。花はほとんど白ですが、いくつか違う色が混ざっている。みんな白だったらいいのにな、と考える人がいるでしょう。違う色が混ざっているほうが面白いな、と考える人もいるでしょうね。みんな白のほうがいい、という人が多いときに、違う色の花を抜いてしまうとします。お庭は白い花ばかりになります。そこに例えば、白い花を好む虫たちが集まってきます。虫たちは花をぜんぶ食べてしまい、花はみんな枯れてなくなってしまう、ということが起こります。もしも違う色の花が残っていたら、虫たちはそれを食べ残して、花はまた増え、そのなかには白い花だって混ざっているかもしれません。

ところで、もしもそこが野原なら、すべての花を白にしようと考える人はいないでしょう。国というのは、つまりお庭のようなものなのです。お庭だから、誰かの意図で、花はそろえられたり、引き抜かれようとされるのです。だから、そこに咲く花たちは「誰か」がみんなをだめにしてしまわないよう、見張らなければならないのです。わたしとは、わたしのことです、と言わなければいけないのです。

あなたとあなたの好きな人が結婚を決めたとします。そのとき、国はこう言うのです。あなたは鈴木さんで、あなたの好きな人は佐藤さんですね。結婚したら、鈴木さんが佐藤さんになるか、佐藤さんが鈴木さんになるかどちらかでないといけません、と。これは、あなたが名前を捨てるか、あなたの好きな人が名前を捨てるか、という選択です。なぜ国はこんないじわるをしたいのか。それは国が、家庭というのは国と同じように「誰か」の管理する「お庭」でなくてはならない、と考えているからなのです。白い花と青い花を、それがいくら相性がよくても、どちらかひとつの色にしたがるのです。

こういうことが、日本という国ではとても多い。僕が中学生だったときには、男子はみんな坊主頭でした。学校は「お庭」で、生徒はみんな白い花でなくてはいけない、と考える人がいたからです。しかし、当たり前ですが、子供だって人はいろいろなのです。このきれいに刈りそろえられた「お庭」に、僕らを滅ぼす虫はやってきたでしょうか? いえ、虫はやってこないので、僕ら自身が「虫」になりました。僕らはとことん反抗し、ひたいの生え際をよけいに剃ったり、学生服をだぶだぶにしたり、タバコを吸ったり、窓ガラスをこわして回ったり、弱い先生をなぐったりしたのです。それが、昭和という時代でした。

あなたとは、あなたのことなのです。子供だって、あなたはあなたではない、と言われたら怒るのです。国はどうあるべきか、を私たちが考える時には、できるだけ「あなたがあなたであること」を損なわないよう気をつけなければならない。それは「お庭」にできるだけいろんな種類の花を咲かせようとする、ということです。そしてそのほうが、国は健康でいられるのです。