【コラム】属性がなくてもあなたは「いる」

あなたには、あなたが望む・望まないにかかわらず「属性」というものがあります。属性とは、どのグループに当てはまるか、ということです。あなたは男性かもしれないし、女性かもしれない。大人かもしれないし、子供かもしれない。日本人であるかもしれないし、外国人であるかもしれない。

属性は、この世界に存在する上で欠かせないもの、のように私たちの目には映ります。それでは、あなたから属性を取り去れば、あなたは世界からいなくなるでしょうか。男性でも女性でもなく、大人でも子供でもなく、日本人でも外国人でもないあなた。そんなあなたは存在しないように思えます。

ここで核戦争が起こったとします。人類はほとんど滅びます。ほとんどというのは、ただ一人生き延びた人がいるからです。その一人とは、あなたです。

そのときのあなたは、もはや男性でも女性でもありません。男性・女性というのは、異性があってはじめて決定されるものです。あなたの性が世界に単一なら、それは分類する意味を失います。同じように、あなたは大人でも子供でもありません。そして、国はすべて滅びたのですから、もちろんあなたは日本人でも外国人でもなくなるわけです。

そうなっても「あなた」は確かに世界に存在するのです。あなたは、呼吸し、水や食べ物を求め、そしてきっと、他に生き延びた人がいないかと探す。それが、あなたが生きている、ということの真の意味なのです。つまり、人というのは属性に関係なく、根源的には生命として存在しているわけです。

私たちが、他人や自分とは異なるグループを見るときに大切なのは、この「根源的な存在としての人」を認めることだと思うのです。属性とは、根源的な存在をおおい隠すベールです。そのベールの色が気に入らないからと、違う色に染めようとしたり、劣った色としてランクづけしようとするときには、人としての他人や、人としての自分自身を見失っているのです。

人を、属性ではなく、存在として認めること。そうすると、あなたと他人のあいだには共通点ばかりがあるのです。人は同じように、体をはたらかせ、自然を感知する。人は臆病で、さみしがり屋で、誰かに愛されたいと思っている。

核戦争後の世界を放浪し、何十年もたったある日、あなたは丘の上に立つ人影を見つけます。逆光で、その人がどんな人かは分かりません。あなたは人影に向かって走り出します。そのときあなたは、その人の属性など気にしていないでしょう。同じように駆けよる相手も、あなたの属性など気にしていないのです。過去には多くの違いがあったのかもしれません。しかし、そのときには、どんな違いをも乗り越えられる未来が輝いているばかりなのです。