犬のせなかに森ができた

 

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 犬のせなかに森ができた。
「病気なんじゃないの」とお母さんは言った。
「だれかのいたずらだろう」とお父さんは言った。
「森のたねが飛んできたんだ」とぼくは言った。
 そのとき犬が「ワン!」と言ったから、犯人は森のたねだということになった。ぼくのうちでは多数決でものをきめるんだ。森のたね説には、ぼくと犬の二票がはいって可決された。そんなたねがあるかは知らないけど。
 お父さんは虫めがねをもってきた。いつもじぶんの言いぶんが通らないとむきになる。こんどもだれかのいたずらだということを証明しようとしたんだ。
「うーむ」とお父さんはうなった。「ジオラマだと思ったんだけどなあ。どうやらこれは……」
「ほんとうの森だよ」とぼくは言った。犬も「ワン!」と言った。
 つぎにお父さんはピンセットをもってきた。
「へたにいじると悪化するんじゃないの?」とお母さんが言った。お母さんもがんこで、じぶんの病気説から考えがはなれないんだ。犬がワンともスンとも言わないことにもっと耳をかたむけてほしい。
「一本だけ……」と言ってお父さんは森のなかの木をつまんで引っぱった。
 ぼくは「痛い!」とさけんだ。
 犬のかわりにさけんだんだ。でも犬はあくびをしてた。
「ぬけないな……ひふのおくにしっかりと根をはってるぞ」とお父さんは言った。
 犬はこのさわぎにあきあきしたように寝そべった。
 ぼくはお父さんから虫めがねをうばって森を見つめた。でも、こどものおもちゃみたいな虫めがねなんではっきりとは見えなかった。
「あした、もっといい虫めがねを買いに行こうよ」とぼくはお父さんに言った。
 お父さんは口のりょうはしを上げてにんまりした。
 ぼくが何かおねがいをするといつもこういういやらしい顔をするんだ。なぜって、お父さんはおねがいと引きかえに、ぼくにいろいろと約束をさせるのがすきだから。
「じゃあ」とお父さんは言った。「洗車三回な」
「いやだ!」とぼくは言った。
 洗車はぜんぜんおもしろくない。洗ざいもワックスもくさいし、きたない水でずぶぬれになる。だいたいぼくはどろだらけのクルマがすきなんだ。いままで何回か手伝わされたけど、ほんとうにいやでたまらなかった。
「そんなら虫めがねはあきらめだ」とお父さんは言って、犬のとなりに寝そべった。「おや、森からヒグラシが鳴いているのがきこえるぞ」
「え、うそうそ」とぼくも耳をちかづけた。
 ぜんぜんヒグラシなんか鳴いてなかった。
「うそつき!」
 お父さんはぼくがおこると口のりょうはしを上げてにんまりする。
 なぜって、それをきっかけにしてぼくとプロレスごっこができるから。そしていつもぼくをこてんぱんにやっつけてよろこぶんだ。でもぼくは、洗車もプロレスもしたくなかった。それで、かなしくなって泣いちゃったんだ。
 それを見て「じゃあ、お母さんが虫めがね買ってあげますよ」とお母さんが言った。
 やっぱり泣くのがいちばんだ。
 お父さんは「そうやってすぐあまやかす」と言って、うっぷんを晴らすようにいっぱつおならをした。まったくめいわくだし、くさい。なんでこんなことをするんだろう。きっと小さいころ、お母さんにたっぷりあまやかされたんだな。

 あたらしい虫めがねはすごかった。
 森のすみずみまでくっきり見えるんだ。小川で水をのんでいるイノシシも、そのとなりの木でかけっこをしているリスも、おどろいて飛びたつアブラゼミもはっきり見える。
 なんだって?
「森にどうぶつがいるよ!」とぼくはさけんで、そのまましりもちをついた。
 お母さんが台所でジャガイモのかわをむきながら「うそおっしゃい」と言った。今日は肉ジャガなんだ。あとでかわむきを手伝わなくっちゃ。
「うそじゃないよ! 来てみて、見てみて!」
 お母さんがのろのろやってきて「どこよ」と言って、犬のかたわらにこしをおろした。どうしてうちのお母さんってこう動きがおそいんだろう。ゆっくり動くと長生きできると信じてるのかな。
「……うそみたい」とお母さんは虫めがねをのぞきながら言った。「なんで川がながれてるのよ。あ、このせいね!」とお母さんはきゅうに立ちあがると、犬のおなかを持ちあげて犬を立たせた。
 犬のわきばらからこまかい水がしたたりおちた。
「けさから床のあちこちがぬれてて、おかしいなって思ってたのよ。でもおしっこじゃなくてよかったわ」
 どうもお母さんはずれている。ことの重大さをわかっていない。でもそののんきさのおかげでぼくもおちつくことができた。そして、あらためて森をじっくりとかんさつできたんだ。

「なにもかもが小さい。こびとの世界だ」と仕事からかえってきたお父さんは目をぎらぎらさせて言った。
「息とめて見てね」とぼくはお父さんに言った。お酒くさかったからだ。このくささで森の動物たちがぜんめつしてしまうかもしれない。そうなったら、一生うらんでやるんだ。
「これでもう会社に行かなくてもいい……」とお父さんはぽつりと言った。
「なんの話よ」とお母さんは言った。
「きまってるだろ。おとな千円、こども五百円。時間は一人あたり五分ってところだな。ミクロランド、って名前はどうかな」
「ちょっと、この森で商売する気なの?」
「いけない?」
「いけないにきまってんじゃん!」とぼくはどなった。
 だって、そんなことをすれば森の動物たちがぶじなはずがない。まいにち何時間もまぬけ顔の巨人たちにのぞかれれば、だれだって病気になるにきまってる。じぶんがそうされたら、って考えないのがまったくおとなの悪いくせだ。
「でも会社に行かなくなったら、お父さんとずっとあそべるぞ」
「あそびたくないよ、ずっとなんて」
「ほんとうですよ。おねがいだから会社に行って。そのまま帰ってこないで」と家で仕事をしているお母さんはいじわるなことを言った。お父さんがいじわるなことを言われるとよろこぶのを知っているんだ。あんのじょう、お父さんは口のりょうはしを上げてにんまりして、じょうきげんで台所の洗いものをはじめた。

 つぎの日に、さらに信じられないことがおこった。
 ぼくが虫めがねでのぞいていると、森でハイキングをしてる人間たちがいたんだ。アリに食べられちゃいそうなちいさい人間! ぼくはとっさにミニニンゲンと名づけたよ。
 しかし、どこからやってきたんだろう。
 ぼくは森をくまなく見まわしてしらべた。すると、犬のおしりのあたりにまっ赤なスポーツカーがとめてあるのを発見した。この超ミニミニカーとくらべたら、ふつうのミニカーは巨大タンカーみたいなもんだな。
 ミニニンゲンは川をたどって歩いていた。ぜんぶで三人いる。男がふたりで、女がひとり。みんなわかくて、それぞれちがう色のリュックサックをせおってる。ハイホー、ハイホーって歌ってるかな、と思って耳をすませたけれど、なんにも聞こえなかった。森の小さな小さな音を聞くには、とくべつなマイクがいるんだろうね。
 そのうちに、ミニニンゲンのご一行は森のひらけた場所にでて、レジャーシートをひろげておべんとうを食べはじめた。それを見ているとおかながすいてきて、ぼくはおなかをグウとならしてしまったんだ。ミニニンゲンたちは動きをとめて空を見あげたけれど、すぐにまた食事をつづけたよ。
 ぼくはどきどきした。ミニニンゲンたちと目があった気がしたんだ。でも、ぜんぜん気づかなかったみたいだ。あっちからぼくの顔は見えないのかな? 見えたらきっとショックで死ぬと思うんだけど。
 おべんとうを食べおわったミニニンゲンの一人が、タバコをすいはじめた。ぼくはタバコのにおいが大きらいだ。だけど、あまりにもミニミニなタバコだからか、ぜんぜんにおってこなくてほっとした。ミニニンゲンはタバコをあしもとにおとしてふみ消そうとした。そのとき、ぼくの鼻にタバコのかすかなにおいがとどいて、ぼくはくしゃみをしてしまったんだ。
 森に突風がおこって、タバコはころがって、おちばに火をつけた。
 それからあっというまに火がもえひろがったんだ。
 ぼくは「水! お母さん、水もってきて!」とさけんだ。「火事だよ! 森が火事! 犬が火事!」
 ねむたそうにしていた犬が、きゅうにすっくと起きあがった。
 そして「ワン!」と大きくいちどほえると、ぱちぱち燃えている森をせなかにのせたまま家からとびだして行ったんだ。
 「おーい! 止まれー!」とさけびながら、ぼくもはだしで犬をおいかけた。
 犬はものすごいいきおいで走ったんだ。
 汽車みたいにけむりをまきあげながら、住宅街を走りぬけて、商店街の人ごみを走りぬけて、また住宅街までもどってきて、だきとめようとするぼくのわきの下をくぐりぬけて、こんどは川にむかって走った。
 ぼくは追いかけながら、川にとびこめ!と思ったけれど、あいつおよげたかな?とも思ったので、もうなんて言っていいのかわからず、ただ「うおーい! うおーい!」とサルみたいにさけんでいたよ。
 犬はまよわず川にざっぷんととびこんだ。
 にごった水のなかで犬はしずみ、すがたが見えなくなった。
 とっさにぼくもとびこんだ。ぼくは泳ぎがうまいんだ。ただし、バタ足しかできないし、息つぎもできないんだけれどね。だから顔を水にふせて、がんばってバタ足をしたんだけど、どんどん苦しくなって、そのまま気をうしなっちゃったんだ。

 だからこれを書いているのは天国で……
 とならなかったのは、犬はいちどしずんでせなかの火をけしてから、つぎにぼくの救助にむかったからなんだね。
 さわぎを聞きつけてかけつけた近所の人たちがいうには、ぼくをせなかにのせて犬は川のむこう岸までゆうゆうと泳ぎきったんだって。
「犬のせなかの森はどうなったの?」とぼくは病院でお母さんに聞いた。
「森は流れてしまったみたいよ。せなかはすっかりはげちょびん。お父さんの頭みたいに」とお母さんは言った。お父さんはまた口のりょうはしを上げてにんまりした。
 ぼくはミクロの森の動物たちやミニニンゲンたちはどうなったんだろう、と考えた。犬はたしかにいちどは水にすっかりもぐったんだから……
「魚のエサだな」とお父さんがちょうどそのときつぶやいた。
「何のこと?」とお母さんが聞いた。
「ほら、森にいた動物たちだよ」
「ちがうよ!」とぼくは言った。「きっと森が船みたいにうかんで、みんなぶじなままぷかぷか流れてったんだ。いまではもう人工衛星が見つけて、きっとインターネットの地図ではきのうよりも島がひとつふえてるよ。ミニミニな島が……」
 でも、じぶんでも自信がなかったから、だんだん声はちいさくなっちゃったんだけど。

 あれからしばらくして、ぼくらは家族そろって、もちろん犬もいっしょに、お父さんのじまんのまっ赤なスポーツカーに乗って、ほんとうの森へハイキングに行った。
 ぼくはそこで森のたねをさがすつもりだったし、お父さんはジオラマをつくるための写真をとるつもりだったし、お母さんはいい空気をすって若返るつもりだった。
 うっそうとした山道をあるきながら「この森も、じつは犬のせなかの森だったりしてな」とお父さんがふざけて言った。
「うちにタバコをすう人がいなくてよかったわ」とお母さんもふざけて言った。
「巨人がそのうち空からのぞくよ」とぼくもふざけて言った。
 そのとき犬が「ワン!」と言ったので、ぼくらはびくっとして身をちぢめ、それからみんなしておそるおそる空を見あげたんだ。

 

第4回浜松市森林のまち童話大賞佳作入選作品(2020年8月改稿)
表紙デザイン・イラスト・文 ©新貝直人