自分の属する組織の不正にそのとき僕がどう立ち向かったか、という話

毎日新聞の記事によれば、東京都の出版社・晋遊舎が発売した6種のパズル雑誌で読者に懸賞品を送っていなかった事実が判明した、といいます。こういった不祥事は出版界で初めてのことではありません。以前には秋田書店でも同様の不祥事があり、少年時代に熱烈な週間少年チャンピオンファンだった僕としては、一体彼らは『ブラック・ジャック』や『気分はグルービー』から何を学んできたんだ!と衝撃を受けました。

出版社が読者を裏切る。なぜこんなことが起こるのか、業界外の方には理解しがたいかもしれません。しかし、僕のようにいくつかの出版社と関わった経験のある人なら、さもありなん、という感想が口をつくかもしれません。

出版社の体質は意外にも、とても民主的なものとは呼べないことが多いのです。上下関係は厳しく、就業環境はたいていほぼブラックです。僕のような外部クリエイターや下請け業者に対して、独善的・威圧的に振舞う編集者は数知れません。それは彼らの扱う記事の内容からは想像もつかないことです。地球に優しい雑誌を発行する出版社の編集長が、外部デザイナーの意見が気に入らなくて電話口で怒鳴りまくる、ということも普通にあるのです。人に優しくない人が地球に優しいわけないじゃん、と思いますが。また、貧しい人を支援する雑誌を発行する会社が、生き残りをかけて企画を考え提案する外部クリエイターを無視し続ける、ということもあります。貧しい人を支援してはいても、貧しくなりそうな人には冷たいんだな、と思いますが。ちなみに、どちらも僕の経験したことです。ここでいきなり具体的に社名をあげて申し訳ないのですが、小学館に出版企画を郵送すれば、いかに彼らが偏狭であるか分かりますからぜひやってみてください。

つまりこういうことなのです。出版社には事業に意義を見出して情熱を傾ける人たちもいますが、文化人気取りがしたいだけの人たちもまた多くいるのです。彼らは、自分の仕事を楽にする方向で物を考えます。その一方で、自分を権威づけすることには余念がないわけです。読者に懸賞品を送らないのは、そうすれば自分の仕事は簡略化でき、予算削減に成功すれば社内での自分の権威づけに有利に働く、というわけです。彼らが何を失念しているかは明らかですね。読者、もちろんそうとも言えますが、むしろ僕はこう考えます。感謝の気持ち、だと。

さて、以前とある雑誌の制作に意義を見出し、情熱を傾けていた僕にも上からの「不正」が降りかかってきたことがありました。

すでに10年以上前に廃刊になっている雑誌なので打ち明けますが、僕がアートディレクターを務めていた雑誌のプレゼントページで、iPodが掲載されることになっていました。読者はアンケートに答えれば抽選でこれをゲットできるというわけです。編集者から渡された画像がひどく低解像度だったので「これ、ネットで拾った画像でしょ? プレゼントの現物を貸してよ。デジカメで撮影するから」と言ったら、彼女は気まずそうな顔をして「ないんですよ」と声を低くして答えました。意味がわからないですよね、プレゼントすると公言する品がない、とか。「どういうこと?」と聞くと「iPodはアンケートを手に入れるための『釣り』で、それを実際に買う予算なんてないんです」とあきらめ顔で言うのです。その雑誌を買ってくれる読者の中心層は女子中高生でした。少ないお小遣いから自分たちの雑誌を選んで買ってくれ、雑誌の継続に役立つアンケートにまで答えてくれて、その見返りが空クジ詐欺とはひどい仕打ちです。僕はちょっと怒って言いました。「それなら、僕はこのページは落とす。デザインしないし、もし他の誰かがデザインをしたとしても、このページの入稿を阻止する」それで編集会議が改めて行われ、誰の発案でそういう事態が発生したかは僕の預かり知らぬまま、iPodは晴れて購入されることになったのです。

僕のようなふるまいは、結局自分になんの得にもなりません。こういう態度が災いして、地球に優しい雑誌とも貧しい人を支援する雑誌とも、その他いくつかの雑誌とも縁が切れました。損得で動けない、ということは資本主義的にとても不利なのです。また、資本主義とそれが形成するヒエラルキーを正義だと信じ込んでいる人たちからは理解もされません。しかし、僕は自分が事業や企画に関わることによって、その小社会が「素」に戻ることを好むのです。資本主義社会では、そこに関わる人たちはちょっと酔ったような状態になっている。大人の事情、というのはたいてい酔っぱらいの事情です。そこに、子供のような素朴な意見を遠慮もなしに浴びせると、みんなふっと酔いが覚めたようになる。僕の抱えるリスクはクビになることくらいなので、僕は恐れない。そしてこんな僕でも、ちゃんと仕事を認めて長く付き合ってくれる会社はあるのです。ブルーハーツの歌詞みたいですが。

最近よく思うのは、世の風潮として(日本だけではなく世界で)多くの人が「賢い」と「ずる賢い」を混同しているということです。賢さは永続しますが、ずる賢さはその場しのぎです。しかしこの時代は、著名人も政治家もずる賢い人がもてはやされる時代なのですね。ずる賢い人は、注目を集めることに長けている。インターネットは明らかに人のずる賢さを助長しています。ずる賢さを大義とすれば、読者に約束通り懸賞品を送るなど馬鹿げている、という話に当然なります。こういう行為に対抗するには、子供の言葉(知恵)を借りればいいのではないでしょうか。

ずるいじゃん!
じゃあ、僕もうやーめた。


https://mainichi.jp/articles/20201008/k00/00m/040/269000c参照